今日は下総中山法華経寺の豆まきに行って来ました。
美輪さんが目当てです♪

この法華経寺、結婚していた時、駅に行くのには毎回このお寺の中を通っていたので懐かしい場所。
私の結婚生活とは切っても切り離せない所です。

実は去年お友達に誘われたのだけど、仕事だったのか行けなくって。
今年はちょうどキャンセルが出たので、何となく、行かなくっちゃと思い一時間前に決めて行って来ました。

駅に降り立ち、懐かしい商店街を通りながら、いろいろ思うところがありました。
下総は昔ながらの人が多い町です。お年寄りが多く、この先も変わることのない商店街が、あそこに留まり続けたら変わらなかったであろう私を象徴していたように感じました。

参道に入ると、とても幸せで桜が満開の春にこの参道を通りながら花びらがはらはら舞い落ちるのを見ながら、すごく切なくなったことを思い出しました。
すごく幸せなのに、花びらの舞う儚い姿に、切ない「今、この瞬間」と切ない「永遠」を感じました。
一瞬でしたが、ハートが拡大しすべてがひとつになったような感覚に襲われました。
そしてあの時知りたくなくて、画像やイメージを持つことを封じましたが、インディもかっちゃんとの関係も私からなくなることを感じとっていました。
このままでいたいという今の私と、魂の道に逆らわないのがわかっている永遠の私が混在していました。

あの時、朝から涙が出たけど、今日も大勢の人の中を歩きながら涙が出ました。

つらかったから、この場所にずっと来れなかったんです。
去年も無意識の抵抗です。
もっとかっちゃんを幸せにしてあげたかった。
でも、私は自分の魂の成し遂げたいことをしないでいたら幸せじゃなくなってしまう。
両方できるように試みたんだけど、案の定だめだったんです。
仕方のないことなんだけど。
私の中に罪悪感が少しまだ残っていました。

分かっていたけど、わからない振りをして、ただポジティブに信じて頑張っていた自分を感じて涙が出ました。
あの桜の後から、苦しかった。
幸せなのに苦しかった。
だからまだ、ごめんねって罪悪感が残っていたんです。
もう、この感情を解放してあげたので、苦しまなくて良いのだ、私。

先日、はとこに大切な手紙を書いたのですが、内容がその後思い出せなくなって。
「はたから見れば、何で?ばか?って思われても私は永遠の自分がしたいことをいつも選んできている。永遠の自分が私だから。これからも、ずっと永遠の私の選択を選択する。」
確かこんな内容だったと思うのです。

私の本質はきっと、ずっと、変わらないんです。
だから、もう見ないふりをするのも、感じないふりをするのもやめて、
たんたんと魂の望むことをして、この三次元に生きてきた自分の癖に縛られている自分を解放し、変容させていくだけなんだと思います。

個人的に、2月は変容の月になると思います。
節分にしっかり、なりたい自分と過去の自分をはっきりさせられて良かったです。

明日は立春。
心新たに、これから起こる2月の出来事を受け止めていきます。
楽しみです。

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