ここ数ヶ月、左足をずっと見つめ続けています

重心がちゃんと取れないのは左足にたくさん問題があるから
ひざの痛みも左足に出やすい

 

改善しようと思いながら行き詰まると、どうしても10年くらい前に思いっきり蹴られて筋肉が断絶したふとももに行き着いてました

先日、やっとそこにフォーカスする気持ちになりました
きちんと見ないと前に進めないのがわかったから。

 

で、手を当ててみるとすごい勢いでエネルギーが入っていく
というか、待ってましたとばかりに太ももの損傷箇所がエネルギーを吸っていくというか

蹴られたあと、あまりのショックに忘れることにばかりエネルギーを向け
自分自身を癒すことを忘れていました、
というか見ないようにしてここに来るまでの時間を待っていたのかな。
やっと見れるくらいまで成長したってことなのかしら?

しばらく、手を当てていたら自分に対して申し訳なかったな、と感じました
ずっと無視続けてきて。

自分が自分を癒すしかないのに、その自分に無視され続けたんだからかわいそうな太もも。

悪かったなぁ~と時間をかけていくと、幾重にも悲しみや罪悪感、怒りが重なっていました
それらを丁寧に見ていくと、奥の奥の奥のほうに、ある感情がいることに気がつきました

すごい自分でびっくりしたんですが、
「 絶対に忘れてなるものか 」
という、いろいろショックすぎ、愛情があったからこそ反転し怨念となってしまった気持ちを発見
怨念て愛情でもあるんだなぁと実感

 

あぁ、これでは、わたしの足のバランスが良くなるはずないな、と思いました
執着の心って前に進ませないもんね~

 

ずっと放っておいて申し訳なかったけど、
こんな気持ちにまでさせてしまって自分に対して本当に悪かったごめんとは思ったけど、

この気持ち抱えたまま、今現在のわたしが幸せになることができないな、とすぐ気がつきました

これって言い換えると、しあわせだろうがなかろうがどんな関係性でもいいから保ち続けようと執着すること

必要でないものを持ち続けたらエネルギーは漏れていく一方

 

 

私は、誰かのためになんか生きたくない

自分のためだけに生きたい

 

だから、今の自分がもっとやりたいことが出来るように、その気持ちをさっさと手放そうと思いました

 

アンチって、大好きの反対でしょ
申し訳ないけど、もう、そのことに関わっていられない
忘れたくないとか、許せないとか言ってる時間はない

 

わたしには集中したいことがあるんだもの
わたしはわたしが一番好きなんだもん

 

感情にふりまわされず、ちゃんと物事正しく見て、あとは自分のやりたいことにエネルギーを注ぐだけ

 

 

さようなら、子ども時代のわたし
たくさん、ありがとう。

 

さ、身体のバランスとってくぞぃ!

 

 

 

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