つれづれ

昨日、軽井沢町議会議員の選挙が終わりました。

父が出馬したので、今回も19日から5日間、選挙カーに乗ってウグイスとして町中を回りました。
今年は、震災もあり自粛ということで、9時から6時までの間回らせていただきました。
12年前から、こうしていろいろ町をくまなく見る機会があるのですが、4年前とは、大きく町の様子が変わりました。
新しい住宅がすごい勢いで増えました。
町の空気というか、波動が変わったな、と感じます。
動きが出てきている。

時代の変化を感じました。
軽井沢は特殊な田舎です。
観光のお客様を受け入れて生きている人も多いですし、普通に住んでいる人もいます。それぞれの大切な軽井沢があります。
土着の人、新しく住みついた人、経験を積んだ人、若い人、いろんな人が力を合わせて軽井沢という美しい町の未来を築けたらと思います。

個人的には、選挙中お見かけした、追分の浅間神社でお祭りの準備をしていたおじいさんたちの、ああいう昔ながらっていうのが残っていることに安心を感じます。
日本人を感じる時です。
今回も連日、大勢の方がうちにいらしてくださり、人のつながりのありがたさを感じました。
コミュニティって若い人にはめんどくさいかもしれないけど、こうやって助けて欲しいときには、ご近所や親戚が集まってくれて応援してくださる。すごいことだな、としみじみと思います。
こんな時間を味わえるのは、田舎に生まれたからだな~と。
この先の時代は親戚とか、そういうものが希薄になっていくのでしょうが、でも、自分の好きなコミュニティを作ることは可能だと思うのです。
つながり。
どんなつながりを、私は作っていくのだろう。

今回の気仙沼では東北の人の良さに触れました。

荷物を降ろして、食料を買って、孤立している地区に届けようと車を走らせていたら、道がなくなっていたり、カーナビ通りにはいかなくて、今井君が
「おれどこに向かっているのかわかんなくなっちゃった」
と言い出し、ピンときたので、
「私達は展望台に向かっております!」
と、導かれて安波山の展望台に着きました。


そこは龍をイメージして作られた公園があり、きっと上まで行くと言ったら嫌がるであろう今井君を残し、気づかれぬよう上まで登ってしまいました。

そこで、きくせいさんという男性にお会いしました。

彼は写真を撮っていらして、気仙沼を一望できる素晴らしさに感動している私に
「気仙沼の人?」
と話しかけてくださいました。
「いいえ、千葉から来ました。」
というと
「なんでここがわかったん?」
と。
「導かれて~!」
と返すと
「ここから見る夜景はね、そりゃぁきれいだったんだぁ~」
と説明してくださいました。
アマチュアカメラマンの彼は、後世に残しておきたいと、震災後の気仙沼の写真を撮り歩いていらっしゃるそうです。
とても地元気仙沼を愛してらっしゃる心が伝わってきました。

しばらくきくせいさんとお話していると、やっと諦めた今井君が上がってきて、今度は二人、きくせいさんからいろいろなお話をお聞きしました。

とにかく、明るいんです!

こんな大変な中にいても、すごい前向き。

「二ヶ月前に買った車、流されて、残ったのはローンだけ」
と言って笑わせてくれるんです。

「遺体安置所ではさ、変な話、”お宅は?””家は三人です””家は5人です””それは大変だね~”、こんな会話よ~。」
と東北弁で、穏やかに、悲壮感とかなく、明るく話されるんです。
これ、東京とかだったら、こんな風に話せる人少ないな…と、つくづく実感しました。

お話していると、先ほどお会いした館長さんのことご存知のようで
「館長のだんなさん、見つかってねぇって話だからどうしたかな?っと思ってんだ」
とおっしゃるので
「あ、見つかったってさっきお話してましたよ。」
と伝えると
「すぐ電話せねば」
と携帯でお電話なさるんです。
ご愁傷さま、見つかって良かった、など気持ちを伝え人をねぎらう姿勢に胸が打たれました。

「こんなに気があってしまったら、いつもは、寿司でもご馳走すっぺか、ってなるんだけど、寿司屋やってねぇからなぁ~」
と。
日本全体の力を合わせて復興早くして、絶対おすすめのこの展望台からの夜景を見に来ながら、おすすめのふかひれ寿司とおすすめの伏見男山で、きくせいさんと今井君と三人で乾杯しましょう!と約束して降りてきました。

また来ます、さようなら、とごあいさつした時、
「ありがとう~」
と深々と頭をずっと下げてくださったのが、なんとも切なくて、人として日本人として、私たち大切なものを思い出させていただいたような、また二人、口がきけなくなりながら、山をおりました。

お会いする方みんな
「ありがとう」
「ありがたい」
と、感謝の言葉ばかりで、愚痴を言わないで、心を荒らさないで、こうやって私たちを迎え入れてくださって、力にならせていただくことで私達が逆に元気をいただいているんだと、また強く感じました。

被災地よりも、関東の方が全然荒れていて、波動も悪いです。
こちらの方が、
「ありがとう」
です。
東北の人の姿は、本当に勉強になります。

美しい。

こちらは水、放射能の問題があるけれど、日本全体で力と心を合わせて、美しい日本を作っていけたらと思います。

今井君は14日から仕事仲間と復興支援ボランティアとして10日間くらいの予定で行くようです。どんどん、そういう力になってくれる人がいれば良いですね。

昨日地震で復旧したライフラインがまた止まってしまった地区もあるようです。
一日も早く、被災地の皆さんが不自由のない生活ができますように。

また、5日6日と東北へ行ってきました。
今回は、実家「ろぐ亭」で15年前の高校生の時にバイトしてくれていた後輩と二人で。

今回も急に、「もう一度行くならすぐにではなければだめだな…」
との、感覚にしたがい、急にメルマガでご案内したのに、多くの方にご賛同いただきました。
市川の自然酵母のパン屋さんオープンオーブンのオーナーとオーナー夫人、そしてお仲間の皆さまにも、たくさんご協力いただきました。

ご協力いただいたみなさま、心を寄せてくださったみなさま、本当にありがとうございました。

今回は岩手に行こうかと思い、一関で一泊しましたが、気仙沼から入ろうということになり、気仙沼にまず向かいました。
先週の南三陸にきた時とは時間も経ったのでまた違ってきていて、だいぶガソリンもまわっているようで、少しづつ落ち着きが見られるような気がしました。
それに気仙沼の方が市街ということもあってか、人も多いし、壊滅的な状況だけど、なんとか早く再生していこうという力が働いていたように思います。
瓦礫の中で、青空商店を出していらしたり、生きていこうという逞しさを感じました。

市街で写真を撮らせていただいていると、年配の親子さんが、荷物を取りにかつての自宅ビルにいらしていたのでお手伝いしながらお話をうかがい、荷物を降ろすべき場所まで案内していただきました。
その方たちは、親類の家に避難させていただいているようでした。
まだ、そちらの地は電気が通っていなくて、水とガスだけで生活なさっているとのことでした。

案内していただいた市民会館で、そこの館長である松下たかこさんにいろいろお話を聞かせていただきました。
ご自分も被災者であり、旦那様も行方不明であったのに、500人以上を収容するこの施設をし切っていらっしゃいました。
はじめ、「班長」って呼ばれてらっしゃるのかと勘違いしていましたが、的確な判断力と指示わなさったりしているのを見ていて、普通の人じゃないな、と感動しました。
腹が据わってらっしゃる…
旦那様のお話をしてくださった時も、いろんな体験談をなさっている時も、取り乱さず、そこには大きな愛しか感じられないんです。
ご自分のことより、人命救助に心を向けて必死に上を動かそうとなさったようです。
一緒に行った今井君と二人、感動しました。
そちらをお別れして、次の場所に向かっている間、ふたりとも
「すげー。」
という言葉と、私は感動の涙しか出なかったです。
かっこ良すぎて、美しすぎて、二人でああいう方に出会えたことの感謝と、ああいう人になりたいう気持ちが強く湧きました。
「主人は幸せよ。きれいなまんま、かすり傷ひとつで見つかったの。
去年買った新車の車にゴルフバックと一緒で、本当に主人は幸せよ。」
22日目にして発見されたのだそうです。
他にもいろいろお話してくださいました。
どれだけ知っている方を皆さんなくされたんでしょうか?
それなのに、前を向いている。
愚痴を言わないんです。
「こうして、いろんな方に良くしていただいて。ありがたい。」
と。

松下館長にお聞きした二箇所をあたり、荷物を託してきました。
大きな施設ではかなり、物資は入っているようでした。


そして、ここは行ってみて、という被害にあった場所にも足を運んできました。

長くなったので、続きはまたあとで。

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